市長の歳時記
「市長の歳時記」は、広報もとみやからの転載です。
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その十一
「自由について・・私見」
ここしばらく国内のコロナ感染は劇的に減少しています。私の公務も通常業務に戻りつつあり、今月の県外出張も5回と増えてきました。新幹線もコロナ感染拡大の時はガラガラでしたが、通常に近い状況です。東京駅は人、人、人で皆さん忙しそうに動いています。ホッとするやら、少し怖いやら、複雑な思いです。
私たちは、思想の自由、信教の自由、行動の自由、学ぶことの自由等々多くの自由が保障されています。与えられている自由・・英語では『フリーダム』と表現される受動的自由、この自由がコロナウイルスまん延で大きく失われた2年間でした。行動する、人と会う、楽しく食事をする、このような自由がほとんど無くなりました。人々は、感染の予防のため、自らの行動を抑え、可能な限りワクチンを接種し、全世界で人々が自由を取り戻すために多くの努力を払い続けてきました。今、日本は大変落ち着いた状況にあります。まだまだ注意は必要ですが、光が見えてきたようにも思えます。掴み取る自由、能動的自由は英語で『リバティ』と表現されるのではないかと思います。もう少しです!アフターコロナ・ウィズコロナを目指し、少しずつ心を解き放ちながら、皆で勝ち取るリバティです。
「柔らかに褥しとね敷かせる落葉かな」・・富安風生。晩秋・・もうすぐ木枯らしが吹きますね。
「春風屋〜春風屋〜ひと吹き10銭、桜・桃・梅の香を入れるともう2銭」・・落語春風屋より。
来年の吹く風は、心温かく、穏やかな、自由な風を味わいたいものです。
(令和3年11月17日執筆)
その十
「秋の訪れ」
秋・・私の大好きな駅伝シーズンの到来です。先日2年ぶりの『出雲駅伝』が開催され、東京国際大学が初出場初優勝を飾り、大学駅伝は群雄割拠時代の到来を感じさせてくれました。さぁ!駅伝シーズンワクワクします。
9月21日、家には三宝にお団子と秋の味覚、花瓶にススキを添えた秋の花、中秋の名月はとても美しく穏やかに拝させて頂きました。月を愛でながら本宮産のスーパードライ、良い時間を過ごすことができました。
ほろ酔いでこんな事を思う・・私は何歳まで月にウサギを見ることができたかな?もの思いに耽ふけりながら、なぜ月にウサギがいるのか、小さいころ母から聞いた話を思い出しました。仲の良い狐と猿と兎うさぎ、次に生まれて来るときは人間に・・それには沢山善い行いをしないといけないよ。その話を聞いていた帝釈天、疲れ果てた老人に姿を変えて三匹の前へ、しばらくは何も食べていません何か食べ物を・・狐は川で魚を、猿は山で木の実を、何も採ることの出来なった兎は、猿さん薪を集めてください、狐さん薪に火を点けてください、兎は老人に、私は何も差し上げる物がありません、どうか私を食べてくださいと火の中に・・何とけなげな事をと帝釈天、狐、猿、兎はその後人間に生まれ変わることができました。特に兎の心を後々に伝え、忘れる事の無いように月に兎を住まわせたと・・『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』また月にウサギが見えるようになりたいなぁ〜
私が今、忘れてはいけないのは究極の愛ですかね?『月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月』秋ですね。
(令和3年10月12日執筆)
その九
「なんの秋?・・」
今年は秋が駆け足でやってきました。続く秋雨、25度に届かない最高気温、薄暮が早く虫の音が心地良い、どれも何時もより早い秋です。少し前からネクタイをしました、何か首筋が涼しいので・・秋ですね!
今秋の私は食欲の秋ではなく、コロナ禍でスポーツの秋は消え、老眼男がなんと読書の秋なのです。勧められていたミヒャエルエンデ著の児童文学『モモ』を読み大きな刺激です。これは児童文学?心清らかな子どもたちはこの本からどんな事を感じるのだろう?灰色の男たちによって盗まれた時間、人々は効率と成果だけを求め心を亡くしてしまう、モモが盗まれた時間を開放し穏やかな生活を取り戻す物語。私は今、多くの問題に効率的な解決方法を求め日々過ごしている事が正しい事だと思い込んではいないだろうか?心の余裕を失っている時に、本当に正しい事が見えるのだろうか?正しい事とは何だろうか?結果を追いかけ過ぎてはいないだろうか?でも結果を求めないで何が生まれるのだろうか?今の私は、灰色の男たちに時間を盗まれた人たちと同じみたいだ。モモが時間を取り戻してくれると良いな!いや穏やかな時間は自分がつくらないといけませんよね!秋の美味に触れ、体を動かし、静かな時間の中で本を読む・・大切ですよね。私の穏やかな時間・・好きな日本茶をいただく・・いやいや秋月を愛でながら一献!80歳を過ぎたらもう一度『モモ』を読んでみようかな?それまで生きていられますかね?
(令和3年9月7日執筆)
その八
「今年の夏は…」
梅雨が明け、次の日からは猛暑が続き、台風9・10・11号と連続発生での災害対応、台風一過からの連日の低温、そして長雨、天候不順な夏、また九州地方や西日本・熱海と各地での災害、心が痛みます。犠牲者の方へのご冥福と一日も早い復旧を祈らずにはいられませんでした。お盆前後にはコロナデルタ株の蔓延、夏まつりも中止しなければなりませんでした。一筋の明かりは、オリンピックでの日本選手や親交のある英国選手の活躍、スポーツを観戦(テレビでですが)することによる伝わる感動、英国オリンピック委員会からの本市への絵画贈呈、とても嬉しい出来事でした。パラリンピックも多くの皆様の活躍を願いたいと思います。
市の行事や事業もコロナ禍の中、延期・縮小・中止が続いています。私も庁舎内での業務が増えてきています。無機質な市長室は安らぎとか癒しとは縁遠いものがあります。自粛が続く中ストレスも溜り気味、5月末に求めたアンスリウムの鉢植えがひとときの癒しを与えてくれます。先日、大きくなったので自宅に持ち帰り、生まれて初めて植替えと株分けを行い、市長室のアンスリウムが二鉢に増えました。肥料も施して可愛がっています。先日二鉢とも小さい赤い花がそれぞれ一輪づつ、鉢植えを求めた時咲いていた花よりは随分と小さな花、育て方はまだまだヘタクソですが、とてもとても美しく思えますし、嬉しいものです。自分が癒しを求めて花を育てている。以前の私には無かったことです。
(令和3年8月23日執筆)
その七
「七夕の夜の願い」
7月7日夕刻帰宅、七夕飾りが・・そうか今日は七夕様か〜!
いろいろと考えなければならないことが多く、心の余裕が無くなっていました・・いかん遺憾(笑)。織姫さんと彦星さんご夫婦の紙人形や、短冊等々が竹笹に、小さくて可愛らしい飾りでした。
夫婦が年に一度しか逢えない‥どんな物語だったかなぁ〜。織物お上手な織姫と、働き者の彦星が結婚すると、いきなり怠け者に、怒った神様が夫婦の間に天の川を造り逢えないように、夫婦は大きな悲しみを・・かわいそうに思う神は、一生懸命に働けば年に一度、会うことが出来るようにしてあげた・・それにしてもロマンチックな話なのかな?一年に一回しか会えない夫婦、寂しくないですか?
男女の出会いと言えば、上方落語を起因とした『崇徳院』という噺があります。美しい女性が寺社参りの帰り道、イケメンに会う、女性が茶店に忘れ物を・・それを届ける男性・・お互いに一目ぼれ、その時の思いを女性が「瀬を早み岩にせかるる滝川の」と書かれた短冊を渡す、この下の句は「われても末に逢わんとぞ思う」です。詠人・崇徳院が、今日は別れたとしても何時かは添い遂げたいとの思いを詠った百人一首の句です。
お互いどこの誰とも知らない二人が恋の病に・・実は二人とも大店の愛娘と愛息子、手代が街中を、瀬を早み!瀬を早み!と叫びながら、ようやく相手を見つけると言う噺、実はこの話の落ちは別にあるのですが、私の大好きな桂枝雀は、二人の素性が分かった時点でめでたし目出度し☺、となります。
二つの話、私は年に一度しか会えない七夕と、ハッピーエンドな落語噺『崇徳院』、後者が好みですが、この日私は、年に一度の恋路を邪魔しつつ、『コロナが早く終息しますように』と七夕様に願いました。
(令和3年7月14日執筆)
その六
「目標に向かって」
毎日蒸し暑い日が続きますが、皆様いかがお過ごしですか?
コロナ禍で人と人との距離が遠くなっています。そのような日常の中で、コロナワクチンの接種が始まりました。当初予約が取れない等のご指摘が多く寄せられましたが随時改良しながら進めさせていただいております。医療従事者の皆様を始め多くの関係者の方々に心から感謝申し上げます。
私も6月中頃に、1回目のワクチン接種を済ませました。予約当初、電話が繋がらず、2日目インターネットでの挑戦、予約空き無し、3日目キャンセルが結構有りまして予約が出来ました。心配した副反応もなく無事2回目の接種が出来るよう感染予防対策をしながら過ごしております。アフターコロナの生活を作り出すには、可能な方々のワクチン接種と感染予防は重要です。皆さんと一緒に普通の暮らしを取り戻す為に進めて行きたいと思います。
さて先日昼食に、稚鮎の天ぷらをいただきました。初夏の味覚、あの苦みが何とも言えず美味、日本酒が欲しくなりました。
鮎は清流の女王と呼ばれ、産卵のために遡上する魚です。子孫をつなぐという大きな目的を持ち、清流を遡上する姿は、神々しいものです。全て美味しくいただきました。正に、ご馳走様であります。
私達も、コロナから普段の生活を取り戻すという目的に向かい、柔軟に、果敢に、コロナウイルスと戦う!今の大きな目標です。
(令和3年6月18日執筆)
その五
「晩春から初夏の装い」
『目には青葉山ほととぎす初鰹』江戸中期の俳人、山口素堂(そどう)の有名な句です。
この季節、美しい青葉色が勢いと優しさを目が心に伝えてくれ、ほととぎすの美しい鳴き声(私には天辺駆けたか聞こえなす)も耳から元気と和らぎを心に運んできてくれます。大きな木々に囲まれ暮らす私の幸せかもしれません。
さて、初鰹ですが、私は戻り鰹トロ鰹が好きなのですが、猫マタギと言って江戸の人たちは食さなかったと聞いた事があります。いかにも初物好きな江戸っ子のエピソードです。
初物には、他の食べ物にはない生気がみなぎり、食すれば新たな生命力を得る事ができると考え、他にも・・初物を食べると75日寿命が延びるとか・・初物は東を向いて笑いながら食べると福を呼ぶとか・・八十八夜(今年は5月1日)に摘んだ新茶を飲めば1年間無病息災で過ごせる等々、その年初めてのものを頂く、新しい芽を頂く事で勢いと元気のお裾分けに与かる、粋を大切にする江戸っ子の考え方ですね。
私は粋と程遠い存在ですが、初物から勢いと元気のお裾分けを頂きたいと思います。
市役所にも21名の新人職員が、毎日元気に、市民の皆様のお役に立てるよう頑張っております。そのエネルギーと情熱を忘れることなく育ってもらいたいものです。
コロナ禍の中、自粛自粛で心も体も折れそうになります。そんな時、私たちが身近に感じることのできる、晩春から初夏の彩り・音色・味覚で心と体を癒したいものです。
(令和3年5月10日執筆)
その四
「3月4月と今年の春は花盛り」
白梅の花が咲き、紅梅、サンシュユ、桜、桃、椿、一度に短な期間でいっぺんに…
新小学一年生の黄色い帽子も菜の花のように愛おしく思えてきます。まだ梅の花が残っているのに桃の花が咲き始める。まさに春の花の顔見世興行!コロナ禍の中にあっても心和む一時でした。そんな春の花が咲き競っているときに、青々とした力強い葉が地面からニョキニョキと…初秋に可憐な花を咲かせる曼まんじゅしゃげ珠沙華の葉です。
まだ若かった頃、何の草か葉かわからず刈ってしまい叱られた思い出があります。春花咲き競い美しく彩る中で、かたや葉だけを地上に出し、春の陽をいっぱいに浴び養分を蓄え、他の草木が芽生える頃は、初秋に花を咲かせるために葉を枯らし地中で静かに待つ。そんな生き方があるのですね。金子みすゞさんの童謡「みんなちがって、みんないい」という言葉を思い出しました。草も木も生きるため、次に繋ぐためにいろんな姿
をし、方法をとり、生き続けていく。形は一つではないのですね。
どんな世代の人たちも、どんな考えを持つ方々も、障がいのある方もない方も、みんながそれぞれの生き方を安心してできる社会を目指して行かなければならないと…大きな挑戦になりますね。お互いがお互いを想い
支え合い、すべての生命が穏やかに暮らせる事を目指す。素敵な世界ですね…大きな夢ですが、一歩踏み出す勇気を持たなければと思わせてくれた、春の花や草たちでした。
(令和3年4月8日執筆)
その三
歳時記3回目にして早くもネタの枯渇。自分の引き出しの少なさに情けなくなります。
今月は、ひな祭りには白酒、散らし寿司にハマグリのお吸い物、春のお彼岸には、ぼた餅…浮かんでくるのは食べ物ばかりです。
そんなことに少々頭を悩ましていた時、食卓にフキノトウとタケノコの天ぷらが…タケノコは冷凍だろうなぁ〜などと思いながら、春の味にニコニコです。口に残ったフキノトウの春の苦をサッパリとした日本酒で流し込む至福のひと時でした。ほかにも、白和えや酢の物、フキ味噌も春を感じる料理ですよね。また食べ物の話になってしまいました。
フキ味噌といえば、「仁応別当ふき味噌」という昔話を覚えています。会津高田地方に伝わる昔話で、少し、お人よしのお坊さんと地域の方々がフキ味噌を通して繰り広げられるほほ笑ましいお話です。春の暖かさは皆を穏やかにしてくれる力がありますね。
我が家のフキノトウやタケノコは、原発事故の後、除染作業が終わり放射能の測定を2度程お願いいたしましたが、安心して食せる値で毎年おいしくいただいております。
春の味といえば、コシアブラやタラの芽の季節も近づいてまいりました。天然物はどちらもおいしそうな春の香りが嬉しいですが、こちらはまだ放射能の値が高くて食することはできません。東日本大震災と原発事故
から10年…まだ元に戻れないものがあります。改めて原発事故の恐ろしさと、1日も早く戻れるよう務めなければと思う日でした。
(令和3年3月12日執筆)
その二
鬼は~外、鬼は~外、福は~内、福は~内、鬼は~外、毎年我が家の節分の大音響である。
今年は・・鬼は外?コロナ外?コロナを外に・・いやダメダメ他の誰かの処にコロナが行っちゃう・・心の中で思いながら今年の節分は、鬼は~外、鬼は~外、福は~内、福は~内、コロナ~滅!こんなことを大声で叫びながらコロナの滅も合わせて願った。少し胸がスーッとしたみたいな?明日は立春、これから良いことが重なってほしいなぁと願いながら就寝。静かな朝、外は一面薄っすら雪化粧、今日から春なのになぁ、でもとてもキラキラして美しい景色。
何年前だったかなぁ10年かな9年かなぁ、桜隠しの雪が降ったのは・・震災の後だったような?満開の紅枝垂桜に純白の雪、落ち込んだ重苦しい気持ちの中、初めて見た景色、ウワ〜凄い!美しさに感動した事を思い出す。
東日本大震災と原発事故から間もなく10年、つい最近の出来事のような遠い昔のような、地震で壊れた校舎、ねじれ歪んでしまった道路、液状化で隆起したマンホール、崩れ落ちた瓦等々、そして原発の水蒸気爆発・・目に見える恐怖と見えない恐怖、これから何をして行けばよいのか・・今だから言える、心はオロオロするばかりだった。そんな時一人の市民の方に頂いた言葉「神はあなたに越えられない試練は与えません、頑張って下さい」勇気づけられた。
自然の怖さ強さ、長い時間と心を掛けて、また人は立ち上がって行くのですね。
(令和3年2月12日執筆)
その一
寒中お見舞い申し上げます。市民の皆様におかれましては、コロナ禍の中での生活に大変我慢を強いられる寒中になってしまっていると拝察いたします。
お正月もいつもの年とは違い、少し寂しいお正月でしたし、恒例のどんと焼きや新年会も中止が相次ぎました。人と人とが集まれない、心を通わす機会が減ってしまっている。
新型コロナ対策も、私たちの心を傷つけかねません。
そのような中にあっても、先日陽当たりの良い土手でフキノトウを見つけました。
少し固い蕾の梅木にメジロが三羽、少し早い春を愛で・・得した気分!嬉しくなり心が和みました。
今、福島は新型コロナの状況改善が出来ていない難しい状況にあります。まだ更なる対策強化の必要があります。
立春もそろそろやって来ます。フキノトウも、梅の花も、メジロも、何か力強く春を彩ろうとしている様に感じます。
自然は毎年毎年同じような風景が・・でも時間も環境も違った中で毎年同じような光景が・・すごいことですよね。変わらない事への幸せを感じますよね。
今それが叶わない私たち、一度話ができるなら、フキノトウやメジロや梅の花に聞いてみたい、「どうしてそんなにできる
のですか?」と。
私たちもいつもの様に春を迎えたい。しなやかに、力強く・・ここは踏ん張りどころですね!
今年「こんにちは市長です」から「市長の歳時記」に変えてみましたが、初回はコロナ対応の御願いになってしまいました。
(令和3年1月14日執筆)